下が古い.上が新しい.間は他所

2009-04-07

古生物を復元することの妥当性について.以前,2008-10-23T01:15 に書いたような欠損値に関するネタをゼミで紹介した際,教官陣からは「無いモノは探せ」というありがたいお言葉を頂戴したことがあった.もちろんこれは全面的に受け入れているし,これを否定したら人として終わってる気がする.問題はそれと一緒に出てきた「無いものを作っても仕方ない」という言葉.端的に言えば,何が無いのかをハッキリさせてなければマズイだろう,あるいは,見つけたモノが何らかの仮説を裏付けるか否定するか,そこんとこを意識しないとマズイだろう,という異論があったりする (もっとも,当時はそう言い返せなかった).で,結局なにが言いたいかってーと,古生物の復元というのは,いかにもダメダメな外延に見えてしまうわけだが,それには二つの理由があるだろうということ.一つは,当てはめられるモデルが適切に定義された上で,たとえば力学ならその方程式が正しく解かれなければならないという点,もう一つは,その計算から「どんなカタチをしていたか」という欠損値をある程度制約できるはずなのに,その計算をしていないがために検証作業自体を定義できていないということ.この辺がクリアできればただの外挿ではなく真っ当な復元,より正確にはそのプロセスとして認めてもらえるんじゃないかという妄想.もっとも,この方法で得られるのは「どう動き得たか」というタイプの話であって,「どう動いたか」というトークンの話ではない.後者を要求するのは端から非科学なんじゃねーの?とかなんとか.なげー.